鋭い爪に囲まれるようにして猫の手の中にそれは存在した。
林檎を彷彿させるような果実だ。艶消しの赤が鮮明に目に映る。
 
「お食べ」
 
ゆったりと差し出す猫のその姿は、まるで白雪姫の悪い魔女みたい。
きっとお婆さんに変装した魔女よりも断然猫の方が怖いだろうけど。
 
くすりと、小さく笑うと私は猫から受け取った。
 
「アリスに似た味がするよ」
 
それは、どういった意味を込めて私にそう言うのだろう。
顔を見上げても猫はただ口角を上げてにんまりと笑うだけだ。
 
そもそも私を食べた事もないのにアリスは極上の味だと知っている。
食べられたことなんて一度も無いはずなのに。そんな記憶は一切無い。
 
まるでそれが最初から決まっていたかのようだ。
それが実際に決まっているのが、この世界の常識なのだろうけど。
 
私は掌の中に移された赤い果実に目を移す
 
林檎に似て林檎じゃない。なんとも不気味な果実。
得体の知れない果実は目の前にいる猫の次に怪しいけれど、
猫が大丈夫というならきっと食べても大丈夫なのだろう。
 
くらりと酔うような濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。
そっと齧ってみると、果実は簡単に砕けて口の中で広がった。
 
病みつきになりそうな果実の甘さ
一度食べればやめられないような錯覚を感じずにいられない。
 
ぼう、と甘さの余韻に浸って立ちすくむ間にも
溢れた果汁はゆっくりと私の掌を伝って腕へと滴ってゆく。
 
猫はごく自然な動作の様に私の腕を取り、ざらりとした舌で舐め取った。
 
「食べないでね」
「食べないよ」
 
アリス、君がそう望むのだから。
離れてゆく猫の顔は少しだけ残念そうに見えた気がした。
 
でも、少しだけなら齧られてもいいかもしれない。
判断の鈍った頭でそう言ってもいいけれど、私はただ黙っていた。


   
喰らいついた甘い果実 <<僕の気持ちが分かるかい、アリス?>>